トモコヴォイス会報誌vol.63

「特訓」
ー バレーボール部~中学時代 ー

 

ロンドンオリンピックが始まった。

選手達はいままでの練習、努力とともに
全身全霊で競技に臨む。

その姿は真撃で誠実だ。
だから感動を与えてくれるのだなぁ。

私の父は学生の時、陸上が得意で
全国大会などにも出たりしいていたが、
母はあまり運動が得意でない。

それでなのか、妹は、子共の時から運動が得意。
足が速く、必ずリレーの選手、器械運動等でも
レオタードを着て競技に出たりもしていた程だ。

私は足は遅く、器械運動は大嫌い、運動は苦手だった。

でも、そんな私でも唯一バレーボールは好きだった。
それはテレビの影響だったのだろう。

バレーボールのスポーツアニメ「アタックNo.1」を見たり、
あまりはっきりと覚えていないのだが、人間が演じる実写版の
「燃えろアタック」というテレビ番組があった。

戦隊もののように、普通では考えられないほど高くジャンプして
空中回転しながらアタックする(もちろん特殊撮影)

本当の人間がそんなすごい魔法のようなスパイクをして
いることに私は感動していた。

私は中学に入ったら、待望の女子バレーボールへ入部した。

上下関係も厳しい運動部だ。
一年生は玉拾いだった。

でも練習できる嬉しい時間があった。
私は嬉しくてワクワクしながら、
いざボールをレシーブしてみる。

すると、ボールは変な方向へいってしまう。

私は本当に下手だった。

もちろん、レギュラー選手になんか選ばれない。
補欠にも選ばれない。

一年生の練習試合でも出させてもらえなかった。

頭の中では燃えろアタックのようにスパイクをする
イメージがあるのだが、なかなかその通りにボールは
いうことをきかない。

私はボールを買ってもらって、裏の広場の
壁打ちの特訓を始めた。

まずは自分が思う方向にボールを飛ばすことができるように、
父にも協力してもらってレシーブ、トスのフォームをみてもらった。

日が暮れるまでフォームの練習。
それからボールを使い壁打ち、壁から跳ねかえるボールも打ち続ける。

何時間も何時間も学校の部活後もやった。

私はそれが、そんな苦と感じずに無我夢中でただやっていた。
ただバレーボールが好きの気持ちがそれを支えたのかもしれない。

そして一年が過ぎ、中学二年のある練習の時、先生から呼ばれ、
皆の前で、セッターのポジションを任された。

そして、私はレギュラー選手、なんと、キャプテンに選ばれてしまった。

セッターというのは、ボールが相手から自分のコートに入って
一つ目はレシーブ、次の二つ目のボールをセッターが確実にとり、
三つ目のボールを攻撃へと変えていくという大切なポジションだった。

だからこそキャプテンだったのかもしれない。
ドがつくほど下手だった私がキャプテンとは、先生が皆の前で
発表した時、自分でもすごくびっくりしたのを覚えている。

それからか、先生からの特別訓練がはじまった。

過呼吸になるほど、身体を動かし、ボールを操る。

夏の暑い日でも体育館の中で、シューズのキュキュッとなる音、
ボールを打つとなるボーンという音を鳴らしながら練習していた。

無心にボールを追っかける。
今でもその時の空気や感触を思い出す。

オリンピックの選手が、テレビでインタビューされる姿を見ていると、
彼らはとても清々しく堂々としていて、また謙虚でもあり、
若くても立派な大人なような返答、話し方をする。

たくさんの特訓をして身体も、精神も鍛えられ、
切磋琢磨された人間だからなのだろう。

人間のすごい可能性を私たちに見せてくれる。

オリンピック楽しもう~

vol63

tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.63より
(2012年8月5日)

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