トモコヴォイス会報誌vol.47

「歌の力」
ー 私にできること -

 

私はその時、息子と母と家でテレビを見て
のんびりしていた。

突然、大きく横に揺れた。
地震だ。

結構長く、強く揺れた。
平常心から急に地震の恐怖に襲われた。

地震速報でテレビ画面には東北、太平洋側で大津波警報、
アナウンサーの緊張した声が流れた。
ヘリコプターからの映像を見た。

それは信じられないような光景だった。

津波が田畑や家、川、すべてを飲み込んでいく黒いアメーバのようだった。

現代ビジネスの記事から被災者たちの実体験を読むとその凄さが伝わってきた。
ここで紹介したい。

「地震が来た時、私は父親のオムツを買うためスーパーにいました。
あまりの揺れの大きさに、買い物袋を放り出して車に乗り、逃げようとしました。

『津波が来るぞー!』という叫び声が聞こえました。
道路に出ると車が渋滞して動けない。
降りて前の車を覗くと誰も乗ってなかった。

その時、背後から音がしたんです。
これまで聞いたことのない、ゴウォォーという地鳴りのような音でした。

振り返るとスーパーの先のホテルが津波にのみ込まれるのが見えた。
誰かに『逃げろっ!』と言われて、我に返って高台に走りました。

水が迫ってきて、気づいたら腰の高さで、次の瞬間、
私は津波にのまれていました。」

意識を回復したのは、民家の屋根の上。
全身ずぶ濡れだった。

「目と鼻の先にあるはずの父親の家がなかった。
中には父と犬がいた。

知らない人に救助された時、
初めて脚から出血していることに気づいた。

夫とも連絡がつきません。
職場の人にきいてもわからないって。

どこかで寒くて震えているのでしょうか。
私はどうしたらいいのでしょうか。

悲しいはずなのに、気持ちが昂ぶって悲しみさえ感じられないのです。
夫も父も小太郎(犬)も、みんないなくなってしまった。」

「これまで津波警報が出てもせいぜい一メートルだったから
大丈夫だろう、と堤防に向かった。

そしたらどデカい津波が沖からやってくるのが見えた。
堤防には他にも人がいたけど、クモの子を散らすように逃げ出した。

今もサッカーやってて脚には自信がある。
でもその脚が震えてしまって自分の脚じゃないみたいだった。

堤防を軽々と越えて津波が追っかけてきた。
全速力でダッシュしても波のほうが早い。

追いつかれる、もうダメだ!と思った瞬間、
自宅へと曲がる横道が見えたので夢中で駆け込んだ。

そしたら、ゴワーッて音立てて水が大通りを
流れてったんだ。

横道に水が入ってくるまで、たぶん数秒だけど時間があった。
そのスキに家に飛び込み、二階に駆け上がったんだ」
(現代ビジネスより)

 

私に何ができるだろうと考えた。
先日エルム書房の前で演奏だった。

『We are the world』『イマジン』オリジナル『てのひら』
等を歌った。

そうすると今までにないものを感じた。

被災者を応援したいってたくさんの人が感じているな、
演奏を聴いてくれた人、その場にいた人から
そういう空気が伝わってきたようだった。

勝手な想像かもしれない。
でもこれらの歌は今、歌われる時だ、今、歌う曲だって
ひしひしと感じた。

歌っている私に強く訴えてきているようだった。

今、歌わなきゃ、歌いたいって思った。

日本だけでなくいろんな国が支援してくれている。
世界の人が応援している。

vol47

tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.47より
(2011年4月1日)

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