トモコヴォイス会報誌vol.37
「五年が経った」
― 父の命日 ―
こんにちは。Tomokoです。
お元気ですか?
やっと天気も安定してきたかな。
つつじやハナミヅキも咲いて新緑の季節になってきました。
このGWは久しぶりに山形へ行きます。
大きな空、山、感じてきます!
素敵な五月になりますように~(^O^)/
桜が咲いてつつじが咲きだすと
またこの時期がやってきたと感じる。
もう五年が経った。
父の命日がやってくる。
交通事故で突然、父はいなくなった。
五年前の五月三日に知らせを聞いて警察へ走っていく道は
空が青々した晴れた良い天気でピンクのつつじが鮮やかだった。
ありえない信じられないこと、
他人のことをいっているのか・・・
ただ超現象の中で私は親戚へ電話、告別式用意など
やるべきことを次々としていった。
前日、父が大好きなチューハイを片手に
私の部屋へ入ってきた。
にこにこ笑っている。
退職して仕事に行かなくても良い身分になったことに
日々ご満悦の父は、毎日が楽しそうだった。
まったく昼間っから飲み始めていた。
私は自分の曲をパソコンで聴かせて
これがロサンゼルスでレコーディングしてやっとできたこと、
これから自分のアルバムをだしていくことを伝えて、
「こんな私をよく応援してくれるよ。
ほんとありがとうだよ。」
と私は照れくさくも父に正直にいった。父は
「娘なんだから、あったりめぇだ!」
と笑って言った。
当時、私は帰国後、日本の音楽業界の中、寝る間も惜しみ曲作りや
頼まれた仕事でめちゃくちゃな生活をしていて身体もダメになるんじゃないかと
家族、父には本当に心配をかけていた。
だからかやっとできたことと感謝を素直に伝えたかったのだ。
父は酒飲みでアンポンタンおやじだが愛情深く優しかった。
親というのはそういうものだろうなぁ。
チューハイの缶が次へといきながら、父は仕事の同僚のこと、
部下のこと、あいつはほんとにいいやつなんだよなぁ
等といろいろ話しだした。
仕事の中でそういう人に出会えて良かった、良かったと
太陽の日差しが燦々と入ってくる二階の私の部屋で
二人で良い語り合いをしたのだ。
いつからか私と父はそういう仕事の話なども
気軽に冷静に話し合えるようになっていた。
その後、父はひとりで行ってきま~すと
夜には妹が帰ってくるのを楽しみに、
近所の飲みやにでかけたのが最後だった。
今もある語りあった時の父の笑顔を鮮明だ。
こういうことが人生において起こるのだな。
いなくなることがわかっていたかのように
すべてを父は語ってくれたようだ。
遺されたものはそう思いたくなるのかもしれない・・・
あの後はちょっとつっつけばすぐに涙がこぼれ、
景色は灰色の世界の中にいた私が続いた。
そこからこうして今幸せを感じて私が生きていけるのは、
周りの人が支えてくれたからなのだ。
「人はひとりでは生きていけない。
ひとりで生きているようでいて本当はそうではない。
人は人によって生かされている。
どんなことがあっても生かされていくんだと思う。」
それはこの出来事が起きてからも
私の中で実感し確信することだ。
そしてこれからもずっとこの時がくると
思い返して確信していくだろうと思う。
命日の前だが山形へ明日出発するため、
今日墓参りへ行って来た。
いつも見てくれていて何でも知っていて
くれているだろうと思っていると
いなくなっても近い存在に感じるものだ。
つつじの花をいけて報告した。
新しい命が自分に宿ったことを。
照れくさそうに笑う父の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.37より
(2010年5月2日)