トモコヴォイス会報誌vol.87
「人生は素晴らしい」
-えっ声がでない!-
12月15日にtomoko 2014 Christmas Songs Live
のリハーサルがあった。
私は少し咳がでて歌いにくいなぁと感じていたが、
アカペラで新しく挑戦する曲の譜面も作り自由が丘の
スタジオで、でき上がってきた進行表もみんなに渡して、
曲の流れなど説明し、しっかり歌った。
そのまま鎌倉プリンスホテルへクリスマス会のイベントへと向かった。
機材を入れグランドピアノにマイクをセッティング、
さぁ、サウンドチェックで声をだす。
としたとき、
「あれ、変だ。声が出てこないっ」
いつも歌うWe are the worldで高いところで
歌うことができくなった。
私は焦った。あと1時間後に本番。
どうできる?
楽屋に入り、そこでものど飴をなめたり、
声を出してみるが声の出方はもっと悪化した。
7時半になり、本番がスタート。
私はピアノの前に座り、マイクを前に声を出した。
やっぱり、いつものようには歌えない。
声がでない。できなかった。
聞いているお客さんも、
あー歌えないんだなと感じただろう。
情けない。
私は心がしぼんでいった。
もう歌わずにピアノの演奏をした。
私は外見では冷静に笑顔で、
心の中は嵐のごとく乱れていた。
ステージから降りても気持ちは下がる。
お客さん達は、それでも温かく
笑顔でみなさんいてくださった。
自分の力量のなさに落胆し大変申し訳ない
気持ちでいっぱいになった。
十周年の節目を迎えるコンサートが
1週間後にひかえていた。
チケットも先に買ってくれているお客さんもいた。
私は、気持ちが焦る。
漢方屋さんにいったり、病院にもいったり、
うがいをしてマスクをつけ、睡眠もちゃんととった。
日々、喉の具合をみては一喜一憂の日々を過ごした。
とうとう三日前になり、もう、様子を見ていくだけでは
限界の時間だと私は判断した。
どこまで声がでるかの、
一か八かでコンサートの日を迎えてはいけない。
メンバーにもスタッフにも迷惑がかかる。
声の状態は、やはり、中音のラの音から上が出なかった。
その下の音はどうにか、まえよりも出てきたため、
その中で歌えるような曲、歌い方ができるものをやろう。
それでもこの10年目にふさわしい、
クリスマスライブにいいものと進行表を練り直した。
私はそのことをスタッフ、メンバーに伝えた。
当日、お客さんを迎え、リリスホールで
tomoko 2014 Christmas Songs Liveができた。
有難いことに、どうにか歌うことができた。
曲中、バンドメンバーと一体となった音に支えられた。
最後、このメンバーで、このお客さんで
10年続けてこれたことをあらためて感じると、
私はこの一週間の心情と、歌えなかったことが
自分の学びになったことを話した。
こう続けてこれたことは、みなさんへの感謝なのだ。
音楽を通してできたメンバーとお客さんとの信頼が、
ここにはでき上がっていると感じた。
1回目のトモコヴォイス会報誌に、私がロサンゼルスへ
渡米したばかりの時の出来事を書いた。
お弁当屋さんでバイトをしていた時、日系人のおじいさんが、
「何しにアメリカにきたの?」と声をかけてきてくれた。
「私は音楽を勉強にきました」
というと、
「それは人生が素晴らしくなるね」
と言ってくれたのだ。
二十歳のときに伝えられた言葉だ。
今回はより一層、深く自分に良い聞かされたようだった。
人生に無駄はない。
世界でもいろんなつらいことが起きている。
心が痛く生きていけないって感じることがあっても、
人生、生きていれば必ず何かをもたらしてくれる。
子供たちに何を残せるか?
私の子供だけではない。
未来を生きる子どもたちに。
「人生は素晴らしい!」と伝えたいと思った。
生きる力が湧いてくる希望を自分で見出せるように。
おとなはきっとそれを未来の人間に
伝えていかなくてはいけないんだ。
ロスで出会ったおじいさんは私に伝えてくれたんだなぁ。
私がいなくなったときに、
「この人は人生素晴らしいっていっつも言ってたなぁ」
って、言われたい!
tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol. 87より
(2015年1月3日)