トモコヴォイス会報誌vol.53

「恩師グロリア・ロッシュ」
ー 人の出会いとは・・・-

 

私は二十歳の時、ロサンゼルスへ渡米した。
そしてグロリア・ロッシュがヘッドコーチを務め、チェザリィ・ヴォーカリスィズ発声法
を伝えているヴォイストレーニングスクール、School of the Natural Voice
(スクール オブ ザ ナチュラルヴォイス)と出会った。

それぞれのトレーナーのスタジオでマンツーマンレッスンを
受けるスタイルになっている。

グロリアからレッスンを受けることは簡単ではない、
レッスン費も高く、グロリアは私にとって雲の上の存在、
私は初め他のトレーナーから習っていた。

ある時そんな彼女に私の歌を聴いてもらうチャンスがやってきた。
私は緊張しながらも歌った。

簡単なあいさつ程度の会話だったのを覚えている。
それがはじめての出会いだ。

その後彼女のライブを観に行ったが、サックスフォンの速い
フレーズにぴったり合わせて歌う、見事に楽器と合わせられる
彼女の声のコントロール力、歌に感動した。

その一年後、彼女からトレーナーになる誘いを受けたのだ。
これは名誉あることと思い、私は自分に挑戦する思いで承諾した。

トレーナーになるために、まずは勉強の仕方を学びに行き、
それに合格しなければならないという試練が始まった。

歌の勉強ではなく、人はどうやって物事を学んでいくのか、
100%を理解するのにはどうすればいいのかといったことを学ぶのだ。

私は合格をもらうのに三ヶ月もかかってしまい、やっと四ヶ月目から、
グロリアの歌のレッスンが始まった。

自分の技術を上げるためのレッスンとトレーナーになるための
レッスン二つを毎週受ける。

それと実際にトレーナーとして教えるレッスンをし、
それを録音して、グロリアに聴いてもらう。
ごれがずっと続いた。

彼女は的確に指摘し、厳しく指導してくれた。

ようやく一年かかって彼女から合格をもらい
私はトレーナーになることができた。

彼女はすべてに徹底していた。
菜食主義で、週三日身体を鍛えるジムに通っていた。

私もグロリアに誘われてジムに一緒に行ったが、そんな彼女に
びしびしと鍛えれれ、ひぇ~筋肉痛になっていたなぁ。

そんな風に公私ともに私の面倒をよく見てくれた。
ある時、彼女が私のことを人に紹介する時に、

「tomokoは良いシンガーで良いトレーナーになる。
彼女のことは心から信頼している。」

と言ってくれた。

無名でなんでもない日本人の私をアメリカでそう言ってくれる人が
いることが私にとって、とてもありがたく本当にうれしくて
心から喜んだ。

私もこのスクールのために何か役に立てればと日本の情報を伝えたり、
通訳をしたり、日本のスクールにグロリアを紹介したりとしたものだ。

そんな中、彼女は乳がんになったと私に告げてきた。

その一年後のクリスマスに私は彼女の家へ行った。
久しぶりに会った彼女は車いすに座ってとても細くなっていた。
声も細くなって別人のようだったが、

「すごくよくなってるの、また歌っていくよ、tomoko」

と元気に話してくれた。
私もそれを聞いて安心し、さすがグロリアだと思った。

正月に日本に帰るけど、また元気になって会おうと伝え別れた。
そのシーンは鮮明に目に浮かぶ。

それが最後だった。
グロリアは一月に亡くなった。

人の出会いとは何なのだろう。
私は今日も自分が教えるレッスンで彼女から教わったことを伝えた。

彼女の歌への姿勢、シンガーまたトレーナーとしてのあり方が、
私の中で指標になり、今も彼女から指導を受けているように感じている。

それがあるから、私はまた新たな人との出会いができる。

その出会いから私は、いろいろ感動し、関心したり、心が動く。

自分の人生で出会える人は限られているだろう、
その一つ一つの人との出会い、縁を大切に生きていきたい。

そう思った今日だった。

vol53

tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.53より
(2011年10月1日)

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