トモコヴォイス会報誌vol.33
「二つの年越しの思いで」
アメリカと日本~
2010年 あけましておめでとうございます。
お正月いかがお過ごしですか?
素敵な一年の幕開けに、
この会報誌を楽しんでいただけたらと嬉しいです。
素晴らしい一年になりますように~ (^O^)/
渡米した1994年のクリスマスは
短大時代にホームステイしたアメリカオレゴン州の
ホストファミリーの家で過ごした。
この時、アメリカのクリスマスをはじめて体験した。
クリスマスイブの日、ロサンゼルスから三時間のフライトで
カリフォルニア州を北上し、オレゴン州のポートランドへ。
緑が濃いみずみずしい森が出てきて、その中にキラキラと光る
イルミネーションで飾った家が見えてきた。
雪も積もっていた。
ちょうど夜についたので光っているのが飛行機から見えたのだ。
ホストマザーのパットと娘のケイティが迎えてくれた。
そこから二時間ぐらいドライブして
たくさんの牧場を超え家に着く。
6頭の馬と4匹の犬猫、人間の数より動物のほうが多い。
家は一階建てでちょうど、アルプスの少女はハイジの
家のようにすぐ横に大きな木がそびえ立っている。
きれいとは言えない小さな家だが人のぬくもり、
愛情いっぱいの家で私は大好きだった。
家に入ると、天井いっぱいの高さの正三角形のツリー、
その下にはプレゼントが置いてある。
壁には大きな靴下が飾られている。
うわぁ~と可愛い素敵な光景に胸いっぱいになった。
二十五日の朝に、プレゼントを開けるのだ。
お互いにプレゼントを渡しあう。
靴下からはオレンジがいっぱい出てきた。
テーブルクロスの上のキャンドルに火をつけて
ターキー(七面鳥)の丸焼きをパットが取り分ける。
お手製のコーンブレッドがすごく美味しかったなぁ。
ほんとにたっくさんのご馳走でもてなしてくれた。
そのままの雰囲気が元旦まで続く。
アメリカ西海岸は世界で一番遅く年を越すので、
日本から始まり、ヨーロッパやニューヨークと
地球一周の年越しをテレビでみて、
最後にハッピーニューイヤーとお祝いの声を上げるのだ。
日本のお正月と違うのはツリーは一月中旬ぐらいまで
ずっときれいに飾られていること。
愛情あふれる年越しだった。
その六年後のクリスマスは祖母の様態が悪くなったという
知らせをロサンゼルスでうけ、急きょ日本に帰国したのだ。
母方の祖母。
小さい時から山形にいけば世話になっていたばあちゃん。
会いに行きたいとすぐ決断した。
ロスを二十五日の朝に出発、成田には同日の午後に着き、
そのまま上野から山形へ新幹線に乗った。
母が看護師なのでその日のお昼まで山形にいたのだが
一時、横浜の仕事場に戻ることになり、私とすれ違いになった。
山形に着いたのは雪がしんしんと降る寒い夜。
駅まで従兄弟に車で迎えに来てもらい、その足で病院へ直行。
「ばあちゃんはもう十分にがんばったから、
がんばってって言わないようにしよう」
っていった。
彼のやさしさを感じた。
看病していた叔父と叔母も病室にいて私を迎えてくれた。
私はばあちゃんになんて声をかけていいのか、
とっさにでたのが、なんと
「がんばって」
って思わず出てしまったのを思い出す。
頑張るって言葉を気軽に使い過ぎてしまうのだなと自覚した。
出た瞬間に「ばあちゃん十分がんばってるよ」と思って。
言い返したけど。
ばあちゃんが私と気づいてくれて目を開いてくれたのを思い出す。
会えて本当に良かった。
その二日後に永眠した。
親戚一同が集まり年を越した。
従兄弟が赤いきつねと緑のたぬきをみんなに配り、
その上に特製天ぷらをのせてみんなで年越しそば(うどん)食べた。
ばあちゃんのおかげでみんなで集まり、
泣き、笑いの心温かい気持ちで年を越せた。
tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.33より
(2010年1月1日)