【tomoko通信】短大時代 vol.108

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こんにちは
tomokoです。

「ここに入ったら英語話せるようになりますか?」

見学に行った短大の事務所で訊いた。

今思えば、なんとも無知な質問と思えるが、
当時はアメリカに行きたい想いが強く、

アメリカに行って音楽をするならやはり英語だ、
と英語短大に進学した。

音楽はアメリカで学びたいと、
日本の音楽専門学校や音大には
あまり興味を持てなかったのも
一つの要因だった。

なんでも取れる資格はとっておこう。
音楽の道は保証がない。

英語の教職課程を取得。
たった2年だが、授業が終わるとすぐに
次の部分を読み始めないと、
次週の要約レポートがかけない。

教育方法学、法律、心理学なども学んだ。
第3ヶ国語としてフランス語を学ぶ。

英文タイプの資格もとり、
学校が自宅から遠いこともあり、
遅刻もよくしたが、勉強はよくした。

私はアメリカに通じる道を探した。
アメリカ留学できる音楽スクールを見つけた。

初めてヴォイストレーニングをする。
そこでは予約をいれた日の先生になるので、
いろんな先生にトレーニングと歌を習った。

トレーニングは、みんなバラバラ。
先生によってピアノが上手い人、そうでない人
といて、私はピアニストの先生のレッスンが
好きだった。

それはヴォイストレーニングをせず、
歌を楽しく歌わせてくれるからだった。
かっこいいピアノフレーズがなると嬉しくなる。

留学科があったからここに来ただけのこと、
音楽、歌はアメリカで学ぶ。

こんな風に強がっていた感があった。

発表会で歌ったときに声をかけられ
先生に選ばれた人だけで、
ジャズバンドをすることとなった。

ジャズなど歌ったのはその発表会の1曲だけで
それなのに、ジャズバンドを率いて歌う?

このバンドは私が一番年下で、ほかは、
社会人、OL、女性だけのメンバーだった。
みんな知らない同士、都内のスクールで集まった。

そこに、はじめましてと、
このバンドを指導する先生が現れた。

この男性はアメリカバークリー音楽学校に
留学経験のある人でギターリストだ。

先生が入ると、音は変化する。
ライトシンバルの、チーチッキ、チーチッキの
スイング感をドラムスティックで先生が引っ張る。

みんながついてくる。

ダイナミックスが生まれ
歌うのも、もっと面白くなった。

私はこの先生から個別指導をうけることとなり、
理論なども教わった。

高校時代のコピーバンドから、
短大ではジャズの世界に入ることとなった。

アメリカに行くと決めたことから
こういう道になったのだなぁ。


Maxine Sullivan – Honeysuckle Rose

tomoko

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