トモコヴォイス会報誌vol.62
「生きるものの使命」
ー ブーが息をひきとった -
1998年のクリスマスの時期に、私はロサンゼルスのシェルター
(保健所)から二匹の猫を引き取った。
それがチャとブーの出会いだ。
まだ一ヶ月もしない、てのひらに乗る小さな猫だった。
オスのチャは冒険心が強く、人に慣れてどんどんどこへでも行く。
ブーは餌をモリモリ食べて食い意地が強く、警戒心が強い。
人が来るとササっと逃げていく。
私が小学校の時に、野良猫を飼いだした。
それが私と猫の生活の始まりで、その猫は日本においてきていたので、
私は久しぶりの猫との生活を思う存分楽しんだ。
まだまだ小さい子猫、とっても元気で自分の身体以上飛んで跳ねて、
猫が犬のように、舌をだしてはぁはぁ言うまで遊んだ。
二匹は私の言っていることを理解する。
(と私は勝手に思っている。)
こっちへおいでと言えば来るし、いたずらをして怒られていることも
本人はわかっている。
それでも、いたずらするのだが・・・・。
小さい子猫がすぐ覚えたのはトイレットペーパーを前足でくるくると
だしきってしまいだめにしてしまうことだった。
チャはドアノブレバーを自分で下げてドアを開けてくる。
でも開けたらあけっぱなしだ。
ブーはよくケーブルについてくる黒い針金をおいかけるのが得意だった。
拾っては私のところへ持ってくる。
私にはまた投げろというので、投げると瞬く間に走り拾ってくる。
永遠とその動作が続くのだ。
よく飽きないなぁと思いながらも私もブーに付き合っていた。
2002年、私の帰国と共に、二匹は初めて日本にやってきた。
私の部屋から少しずつ新しい家に慣れていった。
古い木造二階建ての家で猫達は徐々に本性を出していく。
まず、チャがよく外に脱走していった。
よその猫を追いかけたりして。
はらはらしたもんだ。
ブーはチャが脱走したことを教えてくれた。
チャが外へ脱走した形跡、破れた網戸の前で、
ブーはちょこんと座っている。
そう、ブーは脱走しないのだ。
一度ブーがチャのまねをしてベランダ伝いに
屋根に飛び乗ろうとした時、屋根から落っこちたのだろう。
夜になってブーがいないのに気付き、私が外を捜しにいくと、
家の庭の隅にじ~っと隠れていたブーを発見!
震えていたブーをすぐに抱きかかえて救助した。
たくさんの思い出がある。
今年一月んいチャが糖尿病となり、インシュリン注射の
治療を始めた。
おかげでチャは元気になっていったが、
ブーが逆におかしくなりだした。
三月くらいからか人懐っこくなって、ブーが変わったなぁと
思っていたら、止まらず歩きっぱなしになっていった。
徘徊のはじまりだ。
まだブーと呼べば来ていたのだが、四月後半には
階段から落ちたりしだした。
五月半ばには、サークルケージにいれて
餌もスプーンであげるようにした。
ブーのその変わりようは早かった。
でも、ブラッシングや身体を洗ったり、顔を洗ったりして、
私は話しかけなでていた。
猫の嬉しい時のぐるぐるいう喉を鳴らす音が聞こえた時が
嬉しかった。
ブーは立てなくなり、口もあかなくなってしまった。
チャがブーのケージの横にいつもいた。
六月二十四日の深夜一時にチャがいつも以上に鳴いた。
私は一階の仕事場にいて何だ?チャ~と二階に声をかけた。
チャは降りてきて私の横で毛づくろいしはじめた。
ちょっと気になったので、私が二階のブーを見に行った。
呼吸しているお腹が動いていない。
私はブーの身体に触った。
重い、あ~、もう生きていないってすぐにわかった。
込み上げてくる涙。
一瞬に感じる喉の奥の重さ。
ブー。
こんなに冷たく硬くなるのかって、冷えていく
ブーの身体を触る。
生きていると身体は温かく熱い。
身体の一つ一つの細胞、命は最後まで生きようと
するのだな。
生きることを考えた。
ブーの人生が幸せであってほしい。
ありがとう。
tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.62より
(2012年7月1日)
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