トモコヴォイス会報誌vol.25
『赤毛のアン』から
ー 生き生きとした人間愛 ー
お元気ですか? tomokoです。
5月になりましたね。
本郷台のいたち川の桜の木も銀杏の木も青々として
鯉やカメが遊んでます。
思いっきり新緑を感じに出かけたくなりますね。
さぁっ今月も元気に行ってみよ〜(^ ^)
私は何かを好きになると、とことん追求したくなるようだ。
子供の頃に世界名作劇場というアニメーションをよく見ていた。
世界名作というほどなので、『フランダースの犬』『母を訪ねて三千里』
『トムソーヤの冒険』など有名な名作がアニメーション化され、
一年間続く30分のテレビ番組のことだ。
今は巨匠の宮崎駿さんと高畑勲さんが手がけた作品も多い。
実はそのシリーズの『赤毛のアン』は大人になってからちゃんと見た。
トムやハックの会話や子供ならではの発想、冒険を描く
『トムソーヤの冒険』は大好きだった。
子供時代、読書もしないで外で遊んでばかりいた私にとっては、
この『赤毛のアン』のアニメには興味をそそられなかったのだ。
しかし、帰国して何かのきっかけでテレビで放映されていたのを見た。
私はたちまちにその世界へと入っていった。
まずわかったことは難しい日本語が使われていることだ。
私のような子供では理解できなかったんだなぁとわかる。
他のアニメではでてこない言葉の遊び、美しい音の
日本語の言葉を主人公のアンは使うのだ。
美しい音とあえて言いたい、それほど言葉に
リズムやメロディがあるようだ。
まだ十一歳の子供が近くの池をきらめきの湖と呼んだり、
抵抗し難い誘惑に打ち勝てない時どうするか、
憧れの袖の膨らんだ服をプレゼントされ、
嬉しい気持ちが高まっている時に朝ごはんを食べる
という行動は無味乾燥なことだ等という。
時には堅苦しい言葉の表現だが、小さなやせっぽちの
赤毛のアンが言うととても可愛らしく面白いのである。
これがまた、落語を聞いているかのように、
そうかなるほど!っと相槌を打ちたくなるのだ。
アンの「言葉では言いようのないほどの嬉しさ」を表現する時、
場面はアンの想像の世界に入り込み、リンゴの白い花の小道を
馬車で空高く飛んで行ったりする。
アニメーションだからこそできる表現が盛りだくさん。
「カナダのプリンスエドワード島の田舎町、年老いたマシューと
妹のマリラが孤児院に男の子を引き取りたいと頼む。
しかし手違いのため、送られてきたのは女の子だった・・・」
そこからストーリーはスタート。
アンにたくさんの愛情を注いでくれた
マシューが亡くなるところまで描いていく。
マシューが亡くなった時のアンの気持ちの表現は素晴らしい。
愛しい人がこの世からいなくなって時間が少し経った後、
親友のダイアナと笑い合ったアンは感じる。
世界は続いていること、普段の生活にふと戻っていると、
それが悪いことのようにアンは感じてしまう・・・
私も父が亡くなった時がまさにその通りだった。
原作の素晴らしさと、1952年にこの本を訳した村岡花子氏の偉業がある。
アニメでも忠実にその訳詞にそっていることがわかった。
だからその時代の日本語がたくさん盛り込まれているのだろう。
英語ならではの表現を本当にうまく美しい日本語に訳している。
楽天的で前向きで素直なアンに戦後の日本人たちは励まされたのかもしれない。
カナダのモンゴメリが原作を書いてから昨年で百年。
「それは愛ゆえの作品でした。」
と彼女の日記に綴っている。
生き生きとした人の愛がたくさん・・・感動する。
tomoko
トモコヴォイス紙面会報誌 vol.25より
(2009年5月1日)
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